A.『日本書紀』 雄略紀七年七月丙子の条

 

七年秋七月の申戌の朔丙子に、天皇、少子部蜾蠃(ちいさこべのすがる)に詔(みことのり)して曰さく、「試に往(まか)りて捉へむ」とまうす。及(すなわ)ち三諸岳に登り、大蛇(おろち)を捉(と)取(ら)へて、天皇に示(み)せ奉る。天皇、斎戒(ものいみ)したまはず。其の雷虺虺(かんひかりひらめ)きて目精(まなこ)赫赫(かかや)く。天皇、畏(かしこ)みたまひて、目を蔽(おほ)ひて見たまはずして殿中(おほとの)に却入(かく)れたまひぬ。岳に放(はな)たしめたまふ。仍りて改めて名を賜ひ雷(いかづち)とす。

少子部蜾蠃(ちいさこべのすがる)は天皇の命令で三輪山の神である大蛇を捕らえてきますが、天皇は斉戒(ものいみ)していませんでした。大蛇は赫赫と眼を光らせたため天皇は恐れて殿中に退去します。 大蛇をもとの山に放たせ、蜾蠃には雷の名を与えたといいます。

A.少子部蜾蠃

    三輪山の大蛇を捕まる

目精(まなこ)赫赫(かかやく)雷のように光り輝いて、赫赫と眼を光らせた

 

少子部蜾蠃の名前をもらう

天皇は恐れて殿中に退去

B.『日本霊異記』上巻  「雷を捉る縁 第一」
小子部栖軽は、泊瀬朝倉宮に二十三年天下治めたまひし雄略天皇大泊瀬稚武天皇の随身肺脯(ずいしんはいふ)の侍者なり。天皇磐余宮に住みたまふ時に、天皇后と大安殿に寝て婚合(くなか)ひ給ふ時に、栖軽知らずして参(ま)入(ゐ)る。天皇恥ぢて輟(や)みたひむ。時に当たりて空に雷鳴る。すなはち天皇栖軽に勅(おほせこと)して詔はく「汝、鳴る雷を謂(むか)へ奉らむや」とのたまふ。答えて白(まお)さく「謂へたてまつらむ」とまうす。

と始まる。物語は、栖軽が「緋(あけ)の縵(かづら)を額(ひたい)に著(き)、赤き旗(はた)鉾(ほこ)を撃(ささ)げて、馬に乗りて、安部山田の前の道と豊浦(とゆら)寺の前の路とより走り往き、軽諸越(かるのもろこし)の衢(ちまた)」から還る時に、落ちた雷神を捉えて天皇に奉ったと展開する。天皇は「光を放ち明(ひか)り(かが)く」雷を鄭重に祭って落ちたところ(古京の小治田宮の北の雷崗)に返させ、「謂はゆる古京の時に名(なづ)げて雷崗と為(い)ふ語の本(もと)是(こ)れなり。」と雷丘(明日香村)の地名起源譚で結ぶ。(−平林章仁著『三輪山の古代史』より引用−)


B.小子部栖軽 

「雷」を捕まえてきた
 ↑光を放ち明(ひか)り(かが)く

雷の丘 = 雷が落ちていた場所

C.日本書紀 「金鵄」

金鵄八咫烏 

 = 神武天皇の弓の先に止まり、「雷」のような凄まじい光を発す

   

ナガスネヒコは、ついに目が眩んで、神武軍に敗れた

 

 ■参考

【その他】

金鵄八咫烏神武天皇の弓の先に止まり、「雷」のような凄まじい光を発す。ナガスネヒコは、ついに目が眩んで、神武軍に敗れた
丹塗矢の正体 火雷神という 『山城国風土記』(逸文)
丹塗矢(に化けた) 三輪山の神 (神武天皇の皇后選定伝承 『古事記』)
佐太大神加賀の潜り戸で、「カカッ」と金の弓矢を輝かせながら御産まれ給うた。(『出雲国風土記』)
サルタヒコ 目と口と尻が、赤醤油アカカガチに似れり カガチは、蛇の古語
ヤマタノヲロチ(八岐大蛇)目が、赤加賀智アカカガチのように真っ赤『古事記』 アカガチはほおずきのこと

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